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報酬からいじめを考察する

いらっしゃい!

 

どうしていじめをしてしまうのか。

一つの考えとしてみてもらえたらと思います。

 

まず、いじめに限らず人の行動理念として何らかの報酬があるはずです。

いじめをすることによる報酬にはなにが挙げられるか考えていきます。

 

 

①共通の敵

いじめをすることにより、加害グループは共通の敵を得ることができます。それによって、加害グループの信頼関係が担保されます。たとえそれが悪いとしても、罪悪感や秘密を共有することは、疑似的な安心感につながるのかもしれません。楽しいことをするよりも協同活動をするほうが、信頼関係が築けるということが分かっています。(モチベーション大百科)つまり、同じ相手を協力して陥れることによって、加害グループの結束が強くなっていきます。

 

②快楽が得られる

自分以外の人間が苦しむ様子を見ると、人は快楽を覚えるのかもしれません。もちろんそうでない人が一般的だとは思いますが、快楽として消費する人間も少なくはありません。相手を落として、自分を高位の存在だと確認し安心しようとしているのかもしれません。

ここでいう相手は人間だけにとどまらず、虫や動物も含まれます。幼少期にむやみに生き物を殺したことがある人もいると思います。イタリアのコロッセオで行われていた娯楽も似たような感情があったのでしょう。さらにグロ系のゲームや無双系のゲームも相手を攻撃して快楽を得るものです。

 

③報酬期待感

いやがらせをすることはギャンブルと似ています。いじめは相手の反応が報酬となるのです。つまり、加害者は「次はどんな反応をするかな。」とワクワクしながら嫌がらせをするのです。このワクワクこそがドーパミンの仕業ではないか。ドーパミンは報酬期待感、つまり報酬がもらえそうな気がするときにどんどん放出されます。ギャンブルで「次は当たるかも。」というのがそれです。だからギャンブルもいじめもやめられないのです。さらに、ドーパミンが放出されたとき、脳のストレスセンターにも影響を及ぼします。そして、「このストレスは報酬がまだ手に入らないからだ。」と思い込み、歯止めがつかなくなっていくのです。

参考「スタンフォードの自分を変える授業」

 

加害者にとっていじめにはこのような報酬があります。

(③は報酬ではありませんが、本人的は報酬だと誤って認識するでしょう。)

 

 

いじめをしないことの報酬について考えましょう。

 

①所属的欲求が満たされる

普通に考えると、いじめをするような人間とつるむよりも、いじめられっ子を助けて友人になるほうが何倍もマシな人間関係を手に入れることができます。マズローの欲求5段階説の所属欲求を満たせます。しかし、不確実性がありますし、すぐに友達になれるとも限りません。

 

 

②社会的欲求が満たされる

いじめを助けたとなれば、自己効力感も上がりますし、周りから認められます。さらに優しい人間だと思われます。

 

③リスクがない。

 

 

というか、しないメリットを考えるというのもよくわかりませんね。

上の2つはいじめられっ子を助けることによる報酬でした。

いじめをしない=行動しないのだから報酬があるはずありません。

しかし、普通の人間ならば、いじめをしないほうがいいことくらい簡単に理解できます。いじめをするメリットよりもいじめをするデメリットのほうが大きいからです。

 

 

本心ではいじめがダメなことくらいわかっている

道徳の授業で「いじめは絶対にダメだと思います。」と発言した子がいじめをするなんてことも珍しくありません。また、ほとんどの子がいじめがダメで、しないほうが自分にとっても良いことくらい理解しているはずです。

 

ここで説得力のある話が「スタンフォードの自分を変える授業」に記されていたので、参考にしながら書いていきます。

 

人は”長期的に見た大きい報酬よりも、目の前の小さな報酬を選びがちである”ということです。

 

いじめを助けることで得られる報酬はすぐ得られるものではありません。しかし、いじめをすることで得られる報酬はほとんどがその場で与えられます。

 

さらに、人は他人がすべき望ましい行動は正しく理解できるのに、自分のこととなると正しく理解できなくなるという面を持っています。

 

つまり、道徳の授業などで「望ましいだろうという行動」を発言することはできても、実際にそれを自分の行動に落とし込むことは難しいということです。

 

なので、昔から言われる道徳は先生の言ってほしい言葉を察して発言しているに過ぎない、という指摘は考え直してもよいかもしれませんね。

 

 

 

ではどうしたらいじめをしなくなるのか。

正直、自分以外の人間をコントロールするということなので難しいです。

 

まずはいじめをしたいと思ってしまう自分を受け入れることから始めるとよいかもしれません。

・なぜいじめたいのか。   

・そこから得られるものはなにか。   

・いじめ以外でそれを得る方法はないか。

 

さらに、いじめをすることに対する理解を深めること。

ドーパミンは報酬期待感だけで、報酬ではない。

ドーパミンは興奮作用があるので、ストレス発散にはならない。

→ストレス発散にはリラックス系がよい。(ジョギング、ヨガ、瞑想、会話など)

・いじめで得た友達関係は脆い。

 

 

アドラー心理学も有効かもしれません。

・課題の分離

「社会は厳しいから練習してやってるんすよ。」なんて発想は小さいうちから壊すべき。相手の課題に首を突っ込まない。

 

まずは知ること、考えること。

教師としては伝えること、考えさせること

 

自閉症傾向のある子には損得感情に訴えかけることが有効です。

「どっちが建設的か。」ということを考えさせていくとよいかもしれません。

 

自己コントロールという観点から考えたいじめ論でした。

 

以前書いたいじめの記事もあわせてごらんくださいな。

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

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