差別主義者ほど差別に敏感である
差別主義者ほど差別に敏感である。
差別意識を持っている人ほど差別によく気がつくものである。
さて、youtuberのブライアンさんをご存じでしょうか。
最近「コーヒー豆イジりについて」という動画を投稿されました。
簡単に内容を説明すると
コメント欄でよく「コーヒー豆」といじられることがあり、そのことについて「コーヒー豆って言われることについてどう思いますか?」「言及してください。」と差別反対主義の人からよくコメントされていたそうです。
本人からすれば、
「バイキングの小峠さんは大豆とイジられたらそれは人種差別か。番組でち○ち○とイジられているがそれは人種差別か。“黒人だから”いじっちゃダメなのか。それこそ差別ではないのか。
その人がイジってもいい人なのか、イジってはだめな人なのか判断することは必要だが、肌の色は関係ない。肌の色ではなく、同じ人間なんだから一人一人判断しろ。本人も一緒に楽しんでいるところに、「それって差別発言ですよね?大丈夫でしたか。」ってわざわざ言いに来るような善意気取りの方が心にくる。」といった内容です。
差別を批判する人が余計に差別を浮き彫りにさせ、差別を差別として風化させないような働きをしているような印象を受けました。
デブやブサイクを売りに笑いを取っている芸人がいたとして、その目の前で「笑ったら失礼でしょ!」と注意して雰囲気をぶち壊すようなイメージ。
せっかく本人が受け入れて、自分の強みにしているのに、「失礼だ。」と言うことによって、その強みを“はずかしいもの”“劣っているもの”だと価値を一転させてしまう。それはとても恐ろしいことですよね。
まあでも、イジリってあんまり好きではないんですけどね。エスカレートしやすいので。
ではまた。