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教育・育児・環境教育についてのブログです。セミナーや研修、日ごろの教員生活で学んだことなどを記事にしています。

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TTの支援で学級の荒れを改善する

学級の荒れへの支援の在り方に関する事例研究ーTTによる指導体制とコンサルテーションによる教師と子どものこじれた関係の改善ーという論文を読みました。

 

授業が荒れている教室にTTが入り関わっていく中で荒れを抑えていくことができるという内容でした。今回はその方法を記していこうと思います。

 

引用「学級崩壊」とまで呼ばれるような学級の荒れに直面すると、学校では複数の教師による指導体制を組んで「子どもの監視」に入ったり、教師の指示や命令を強めようとする方向へ動いたりしがちである。しかし問題の根が教師と子どもの関係性の中に存在するのならば、監視・命令といった対応が、こじれた関係をすぐに修復する結果をもたらすとは言えないだろう。

と述べられており、ハッとさせられました。確かにその通りで、子供の荒れを抑え込むのは解決ではないんですよね。

 

この研究で取り組んだことは以下の3つです。

①子どもへの支援

 荒れの中心となっている児童を中心に授業に集中できるように支援する。支援の方法は、

・少しでも良い作品が完成するよう、助言したり手伝ったりする。

・良い作品が完成したり、制作の途中で作品の良さが感じられたら、それを指導教員に見せるように子どもに指示する。子どもが見せたがらないときには、教員を呼んで見てもらう。

・個別支援をしながらも、肝心なところは指導教員に聞くように促すことで、教師と児童の関係を深めるようにする。

 

②教師への支援

・教材の配布や片付けなどについて可能な限り補助し、教員が子どもたちに直接かかわれる時間を増やす、

・教師のはたらきかけや子どもの様子などについて観察して気づいた良い変化をできるだけ伝え、関係改善への意欲を高める。

 

③教師とのコンサルテーション

荒れへの対応など気をつけることを話し合うなど

*これは専門的な視野が必要かと思うので、私のような若手には再現できないかと思いました。興味があれば実際の研究論文をご覧ください。

 

この論文ではアンケートによる意識調査も行われています。

教員の児童に対する受容的態度と要求的態度(指示・命令など)のバランスが大切であるそうだ。つまり指示や命令ばかりで、子どもを見ていないときや、認めていないときに荒れが発生する。この研究の対象となったクラスがそのバランス崩れて児童が反抗的になり荒れが発生したという事例である。

TTでの支援を行う前と行った後で、教師から見た受容的態度と要求的態度のバランス、子供から見た受容的態度と要求的態度のバランスのズレが小さくなったようだ。このズレが大きいと荒れとして表出しやすいというわけです。実施された学年は6年生。もちろん学年によっても荒れの出方は異なると思いますが知っておくのは良いことでしょう。

 

 

①に関して、これは支援員をされている方や、スクールサポート、T2など授業に入る場合に意識しておきたいことだと思いました。担任と子供の関係を深めるために、支援員のちょっとした意識でその機会を作ることができるというわけですね。またTTではなく自分が担任であっても、机間指導をして子供の良いところを見つけていくという時間の大切さがよくわかりました。

 

②に関して、やはり教員の時間的な余裕やゆとりが教員と児童の関係を深め、結果的に荒れを予防・改善するということですね。しかしながら学級が荒れているのに子供と遊んでいたりすると良くない目で見られそうなのが現状です。学級の荒れ=担任の怠慢だと実際は思われていなくても、担任をしていると自分の責任だと感じてそう思ってしまいます。荒れた時ほど子供と関わって遊んで関係を修復していかなくてはいけませんし、時間を効率的に使って、子供と関われる時間を生み出していかなければなりませんね。

 

 

という一例でした。個人的に勉強になりました。

特に荒れたら監視をするという対応をしがちですが、それは臭いものに蓋をするのと同じというわけですね。根本的に解決を目指すのであれが児童も担任も支援することが必要でした。

 

それではまた。

浜松市の陸養プロジェクトについて

 浜松市の小学校で、水産資源の大切さを知ることと海の問題について関心を持つために、ヒラメを養殖するという授業が行われました。一昔前に話題になった「豚のいる教室」を思い出します。

YouTubeのコメント欄ではかなり批判が飛び交っていました。

名前を付けさせるべきではない。愛着を持って育てたペットを食べるのは精神的にダメージが大きい。養殖業者は名前なんてつけない。虐待だ!などなど

 

考えはいろいろあると思いますが、現時点での自分の考えを記しておこうと思います。

 

 まず、講師の先生(NPO日本養殖振興会代表理事)が「これからみなさんにはこのヒラメたちのお父さんお母さんになってもらいます。」と説明するところから始まります。ここを指摘する批判が多いです。「親になる=ヒラメは家族である」と認識する人が多いみたいです。言葉の表面で言えばそうなのでしょうが、子供に伝わりやすくヒラメを大切に育てようと伝えるにはいい表現だったと感じます。それが養殖という行いに適していたか不適切だったかというとそれは養殖業者の人にしかわかりません。しかし個人的に養殖業者の方々も自らが親であるつもりで生き物を育てているとのではないかと思います。(お父さんお母さんになる=お父さんお母さんになったつもりで育てる)という日本語の含みを持たせた表現の一つと捉えることはできないものでしょうか。もしお父さんお母さんという表現をしないのであれば、どのような言葉がけで命を育てる責任感を子供たちに持たせるのか考える必要がありますね。

 「もともと食べるという目的を持って取り組むのならばよい」という意見もあります。この実践では初めから「陸養プロジェクト」と銘打って取り組まれています。ですから食べる前提のもと行われているということは子供達も理解しているのでは無いでしょうか。しかし、個人的には「食べるかどうかをクラスで話し合う」という活動をはじめから設けてるところに違和感を感じます。養殖の体験学習としては不自然な流れであると感じざるを得ないでしょう。教育の悪いところ、欲張りでなんでも取り入れていくところが出てしまっていますね。命を育むというところから、「豚のいる教室」を連想してこのような活動を組み込んだのだと思います。「あらかじめ話し合うように決めておこう!」ではなくて、200日以上世話をする中で、子供達が自然とヒラメに愛情を持ち、「食べるのが辛いな」と感じる子が出てきたのであればみんなで話し合うという流れが自然だと思いました。

 「名前を付けさせるなんて、より一層思い入れが強くなってショックが大きくなる!養殖業の人は名前なんて付けない!虐待だ!」との意見もあります。そもそも養殖では名前を付けられるほど少ない数を育ててはいません。名前を付けないのではなく、名前を付けられないが正解でしょう。しかし名前をつけることでショックが大きくなるのはその通りでしょう。「銀の匙」で主人公が餌をあまり食べられない豚に名前を付けてしまう場面があります。同じように周りからやめておけと忠告されており、案の定精肉する際に心を傷めてしまいます。そのお肉は全部自分で購入しているんですけどね。しかし名前を付けなかったら果たして心が傷まないのでしょうか。名前を付けなくても餌を食べられない豚のことを気にかけたと思います。

 さて、今回の養殖プロジェクトでは、指導者が名前を付けさせたのでしょうか。子供が自発的に名前を付けようとした可能性もあります。(私は動画を見て子供が提案したのだと感じましたしそれが子供の主体的な行動であるならそれはそれで価値のあることかと思いました。)もしあなたが指導者だったら、子供が名前を付けようと提案したときにそれを禁止しますか?子供のショックを大きくさせないために禁止するという人もいるかもしれません。ですが、名前を付けたことによって食べるために育てた家畜が食べにくくなってしまうという経験も心を豊かにしたり、相手の気持ちを想像したりする上で良い経験になると思います。事前にその可能性を説明するのは良いかもしれませんが、名前を付けさせるなという指摘は思考停止が過ぎると感じました。名前を付けようと思いついた時点で個体の識別がある程度できてしまっているので、愛着は多かれ少なかれ持ってしまっているでしょう。

 

 

 また、ヒラメに名前を付けようがつけまいが、少数のヒラメを飼育していたらすぐに個体の見分けがつくようになると思います。模様が違うとか、餌をすぐ食べにくるとか、おとなしいとか、ヒラメにも個性があります。個体の識別ができるとそれは名前を付けたことと同じです。ショックを小さくさせたいのであれば、名前を付けられないほどたくさん養殖させるか、ヒラメよりももっと小さくて個性の小さいもの(例えばコオロギや貝類など)や、土の中に隠れているもの(クルマエビや貝類など)を養殖するのが良いでしょう。実践の行われた場所は浜松市浜名湖での鰻をはじめとした魚の養殖が行われています。地域に根ざした学習として魚の養殖が取り入れられているのでしょう。貝やエビなら水産資源ですからマッチしますね。海藻という手段もありますが、畑で野菜を育てるのと変わりありませんからわざわざ大きなコストを掛けてやる必要はないかもしれません。

 

 「話し合いを多数決で決めるな」という意見もありました。少数派の意見が蔑ろにされて揉み消されていると。しかし、食べるという意見も食べたくないという意見も価値は同じです。全員が関わって育ててきているのだからヒラメは集団の所有物として考えなければなりません。集団の大多数の意見が通るのは自然なことでしょう。仮にそのような気持ちを尊重するのであれば11匹のヒラメを育てることになります。そうすれば食べるかどうかを自分で決めることができます。しかし愛着をさらに抱いてしまう恐れもあります。そうなると本来の目的である養殖という体験学習が達成できず、単にペットを育てる学習になってしまう可能性が高いです。もちろんお金と設備、場所の問題もあります。

 

動画の最後で少年が「これからいただきますという言葉を通して、今回の経験のことを思い出していきたい。」と涙ながらに答えていました。

 

 生き物の命を頂くことはショッキングなことなのかもしれませんが、生き物として当然の行為です。生き物を食べるために殺すことにショックを抱く気持ちがわからないわけではないですし、そういう気持ちが命に対する優しさにつながることも理解できます。しかしだからといって目の届かないところで生き物を殺してもらって、それを食べるだけという社会が正常かというと疑問を抱きます。

 

 批判することは誰でもできますが、それがどのような目的で、どのような流れで行われたのかは現地の人たちしかわかりません。せめてこれはダメだと批判するのではなく、どのように行ったらより良くなるのかを示していきたいものですね。

 

それはダメな褒め方!子供の褒め方

 最近は子供をほめて伸ばすことが注目されています。なぜ褒める教育がブームになっているのかというと、子供の自己肯定感がとても低いことが明らかになったからでしょう。

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https://news.yahoo.co.jp/byline/hiraiwakuniyasu/20191002-00144622/

しかし、ただ褒めればいいというものではありません。
アドラー心理学では、褒める行為は上下関係の上に成り立つものなので望ましくないものとしていますが、ここでは置いておきましょう。

 

①人中心の褒め方をしない。

 例えば、

「天才!」

「上手!」

「才能があるね!」

「優しいね!

など、その人自身を褒めることは長期的にみると好ましくありません。褒められるために行動してしまい、本来の興味への対象が褒めてもらうことにすり替わってしまう恐れがあります。褒められることは報酬であり、外発的な動機付けです。褒められなくなると「自分はだめなんだ。」と自己肯定感が下がってしまうかもしれません。

 さらに、「絵が上手だね!」と言われた子が、少しでも自信のない作品ができたときに、それを隠すようになったり、作る途中でやめてしまったりします。絵がうまいというイメージを守るための行動でしょう。

 

②結果だけを褒めない。

例えば問題を解いたときに、

「解けるなんてすごいね!」

図工の作品をみて

「うまいなあ!」

など。

 解けたことを褒められた子は、解ける問題にしか挑戦しようとしなくなる傾向にあるそうです。一方問題に取り組む姿勢を褒められた場合(「集中してるね。」「よく考えているね。」など)は、難しい問題にもどんどん挑戦しようとする傾向があるみたいです。

 私はテストで100点をとった子が「簡単だった!」と言ってきたら「しっかり勉強してたからだね。」と努力にフォーカスして褒めるようにしています。

図工でも、「よく見て書いているね。」「丁寧な線だね。集中していたことがよくわかるよ。」と褒めるといいのかなと思います。

 

③雑に褒めない。

すごい!天才!さすが!

 雑な褒め方は年齢が上がるにつれて子供にも伝わるようになります。子供と大人の間の信頼関係に傷がついてしまう恐れがあります。褒めるときにはどこがどう良いのかを示す必要があります。

「ここの木の葉っぱが細かく書かれていて本物みたいだね。」

「ここの色合いが先生的に(お母さん的に)好きだなあ。」

「今の投げ方、重心の移動がスムーズでとてもいいですね。」など

 

☆ほめ方がすぐに思いつかない時には、子供に質問するとよいそうです。

例えば、

「どの辺が気に入っているの?」

「一番頑張ったところはどこ?」

のような感じです。子供との会話の中で、子供がどこを気に入っているのか、頑張ったと思っているのかを引き出して、それを認めて気持ちを共有しましょう。

 

 

 僕自身もまだまだできていませんが、今年度の写生大会ではこのようなことを意識して立ち回りました。僕のまわりの子どもたちと、このブログを読んでくれた方の周りの子どもたちが、自分を好きになって幸せになってくれると嬉しいです。

 

頑張りましょう。

 

参考

www.amazon.co.jp

 

amazonプライムで無料で読めました。これはいい本です。

教師的に子供に使ってほしくない文房具part1

教員をやっています。るると申します。

日々子供とかかわっていると、ふと子供の文房具に目がいきました。

(こんなの使わんでくれ・・・。)と内心思ってしまうものがありましたので、改めてここで考えておきます。

 

 

新しく文房具を買おうとしている方は、少しだけ参考にしてもらえると幸いです。

 

①丸い鉛筆キャプ

 丸いと転がってすぐに落ちてしまいます。落とし物ランキングでも上位に食い込んで


きます。赤青鉛筆で前後にキャップを付けている子もいるのですが、せっかく六角形の鉛筆なのに、キャップのせいでどんどん転がっていきます。四角形や六角形のものがありますし、転がらないようにでっぱりのついたものも打っています。買うならそちらがよいでしょう。丸いにしても、せめて名前を書きましょう。落としてなくしたら環境にもよくないです。物は大切に。

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②丸い鉛筆

 同じ理由です。転がって落ちますから、中で芯が折れていることがよくあります。物が落ちるとそれだけで集中力が途切れてしまいますし、うるさいので周りにも迷惑です。できれば六角形のものがいいです。鉛筆の正しい持ち方を練習するのにも六角形がちょうどよいです。

 

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③マニキュアのようなノリ

 驚くべきものがありました。マニキュアのように小さい塗るようの筆がついているノリです。見た目はおしゃれでかわいいかもしれませんが、塗るのにとても時間がかかります。水分量が多いので、塗った後もプリントがべとべとのぐちゃぐちゃ。最悪な商品だと思いました。子供はうまく使えないんじゃないでしょうか。スティックのりって偉大ですね。

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④透明じゃない定規

 透明でないと線を書くときにずれてしまうことがよくあります。線を引く部分が透明であればよいです。不透明な定規は捨てましょう。

 

 

 

⑤カチャカチャと開いて長くなる定規

 初めて見たときはそのアイデアに魅せられました。こんな便利なものがあるんだと感動した覚えがあります。しかしこの手の定規はすぐ壊れるんです。友達に貸して壊れたとなればかなり面倒です。そもそもそんなに長い定規を必要とする機会があまりありません。長い線は下敷きを使えばよいのです。シンプルな定規が一番長持ちします。

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掃除道具入れの整頓を習慣づける

 掃除道具入れが整っていると、教室も整います。とは言い切れませんが、荒れたクラスの掃除道具入れは悲惨な状態であることが多いです。

 掃除をするぞ!というときに、ぐちゃぐちゃな掃除道具入れをみたら、やる気が一気に下がりそうな気がしませんか?そして掃除も適当でいいやという気持ちになってしまいそうです。

 そこで、掃除道具のしまい方を子供に教えるのですが、手っ取り早い方法が、

一番きれいな状態にして写真を撮ることです。

そしてその写真を掃除道具入れの見えるところに貼っておきましょう。片づけ方が一目でわかるので、支援の必要な子にも易しいです。

 

 写真の見本がないと、「掃除道具入れが整頓されていません!掃除の人やり直し!」と𠮟ることになります。しかし、整頓されているかどうかは、人それぞれ違うので、(別にそんなに汚くないじゃん。)と思う子もいると思います。また、どの程度きれいにすればよいのか、その基準がわからなく、不満が積み重なっていきます。

 写真があれば、「写真と違います。整頓してください。」というだけで指導できます。これなら不満は出にくいでしょう。人それぞれの価値観に関係なく、できているかどうかの判断になるので、子供でも気が付けます。

 

 私は令和2年度に「清掃・環境美化」の校務分掌に当たりました。そこで全クラスの掃除道具入れの掃除道具を整頓し、写真を撮って貼っておきました。3学期になって確認してみると、ほとんどのクラスが写真の通りきれいに片付けていました。

画像

https://twitter.com/ruru__teacher/status/1348965890134478848?s=20

 

 

 

注意の仕方に気をつけたい

注意の仕方について考えていました。

特別支援の子で、注意してもすぐに直さない子がいます。でも違う先生だとすぐに言うことを聞きます。その子の気分もあるのでタイミングももちろん大切ですが、日頃からの接し方に原因があるのかなと思いました。

僕はその子の担任ではないので、深く考えずに注意していました。しかしそれではダメだったんですね。注意したからには徹底してやらせるようにしないと、注意の効力がどんどん下がっていきます。

直さなくても叱られないんだと思われたら、これからの注意や指示も聞かなくなってしまいます。

注意したなら、直させること。行動の変化を確認して、直そうと試みる姿勢を評価すること。

言葉は文字と違ってその場に残りません。相手の心にとどめるためには、一回一回の積み重ねが大切だと思いました。

自分の言葉の価値を下げてはならない。

 

挨拶で主導権を握る

ヤンチャくんを相手にするときに大切なのが、主導権を握ること。愛着障害だと専門医から言われている子と同じ教室にいるが、なかなかにヤンチャモノだ。専門医が言うには、主導権を教師が握らなければいけないそう。

 話は変わるが、愛着障害ではなく、ADHDASDを併せ持つ子がいる。

1学期は、こちらが挨拶をしても、自分のことに集中して、自分のことを話したり、ほかごとをしたり、、。そこで、教室に入ったらすぐに近寄って、名前を呼び、返事をしたら挨拶をするようにした。すると小さい声ながら挨拶を返してくれる。それを続けてみることにした。同じ障害の妹はまだ挨拶も小さいが、遠くからでも挨拶を返してくれることが出てきた。兄は教室に入った瞬間に大きな声で挨拶をするようになった。

 

挨拶をすると良いということは、小さい頃から刷り込まれているので、「教師が挨拶を求める。→挨拶を返す。」という指導が入りやすい。教師が指導し、子供が指導を受け入れるという事実に慣れさせていくことができる。心理学的にはドアインザフェイスというテクニックにあたると思う。