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浜松市の陸養プロジェクトについて

 浜松市の小学校で、水産資源の大切さを知ることと海の問題について関心を持つために、ヒラメを養殖するという授業が行われました。一昔前に話題になった「豚のいる教室」を思い出します。

YouTubeのコメント欄ではかなり批判が飛び交っていました。

名前を付けさせるべきではない。愛着を持って育てたペットを食べるのは精神的にダメージが大きい。養殖業者は名前なんてつけない。虐待だ!などなど

 

考えはいろいろあると思いますが、現時点での自分の考えを記しておこうと思います。

 

 まず、講師の先生(NPO日本養殖振興会代表理事)が「これからみなさんにはこのヒラメたちのお父さんお母さんになってもらいます。」と説明するところから始まります。ここを指摘する批判が多いです。「親になる=ヒラメは家族である」と認識する人が多いみたいです。言葉の表面で言えばそうなのでしょうが、子供に伝わりやすくヒラメを大切に育てようと伝えるにはいい表現だったと感じます。それが養殖という行いに適していたか不適切だったかというとそれは養殖業者の人にしかわかりません。しかし個人的に養殖業者の方々も自らが親であるつもりで生き物を育てているとのではないかと思います。(お父さんお母さんになる=お父さんお母さんになったつもりで育てる)という日本語の含みを持たせた表現の一つと捉えることはできないものでしょうか。もしお父さんお母さんという表現をしないのであれば、どのような言葉がけで命を育てる責任感を子供たちに持たせるのか考える必要がありますね。

 「もともと食べるという目的を持って取り組むのならばよい」という意見もあります。この実践では初めから「陸養プロジェクト」と銘打って取り組まれています。ですから食べる前提のもと行われているということは子供達も理解しているのでは無いでしょうか。しかし、個人的には「食べるかどうかをクラスで話し合う」という活動をはじめから設けてるところに違和感を感じます。養殖の体験学習としては不自然な流れであると感じざるを得ないでしょう。教育の悪いところ、欲張りでなんでも取り入れていくところが出てしまっていますね。命を育むというところから、「豚のいる教室」を連想してこのような活動を組み込んだのだと思います。「あらかじめ話し合うように決めておこう!」ではなくて、200日以上世話をする中で、子供達が自然とヒラメに愛情を持ち、「食べるのが辛いな」と感じる子が出てきたのであればみんなで話し合うという流れが自然だと思いました。

 「名前を付けさせるなんて、より一層思い入れが強くなってショックが大きくなる!養殖業の人は名前なんて付けない!虐待だ!」との意見もあります。そもそも養殖では名前を付けられるほど少ない数を育ててはいません。名前を付けないのではなく、名前を付けられないが正解でしょう。しかし名前をつけることでショックが大きくなるのはその通りでしょう。「銀の匙」で主人公が餌をあまり食べられない豚に名前を付けてしまう場面があります。同じように周りからやめておけと忠告されており、案の定精肉する際に心を傷めてしまいます。そのお肉は全部自分で購入しているんですけどね。しかし名前を付けなかったら果たして心が傷まないのでしょうか。名前を付けなくても餌を食べられない豚のことを気にかけたと思います。

 さて、今回の養殖プロジェクトでは、指導者が名前を付けさせたのでしょうか。子供が自発的に名前を付けようとした可能性もあります。(私は動画を見て子供が提案したのだと感じましたしそれが子供の主体的な行動であるならそれはそれで価値のあることかと思いました。)もしあなたが指導者だったら、子供が名前を付けようと提案したときにそれを禁止しますか?子供のショックを大きくさせないために禁止するという人もいるかもしれません。ですが、名前を付けたことによって食べるために育てた家畜が食べにくくなってしまうという経験も心を豊かにしたり、相手の気持ちを想像したりする上で良い経験になると思います。事前にその可能性を説明するのは良いかもしれませんが、名前を付けさせるなという指摘は思考停止が過ぎると感じました。名前を付けようと思いついた時点で個体の識別がある程度できてしまっているので、愛着は多かれ少なかれ持ってしまっているでしょう。

 

 

 また、ヒラメに名前を付けようがつけまいが、少数のヒラメを飼育していたらすぐに個体の見分けがつくようになると思います。模様が違うとか、餌をすぐ食べにくるとか、おとなしいとか、ヒラメにも個性があります。個体の識別ができるとそれは名前を付けたことと同じです。ショックを小さくさせたいのであれば、名前を付けられないほどたくさん養殖させるか、ヒラメよりももっと小さくて個性の小さいもの(例えばコオロギや貝類など)や、土の中に隠れているもの(クルマエビや貝類など)を養殖するのが良いでしょう。実践の行われた場所は浜松市浜名湖での鰻をはじめとした魚の養殖が行われています。地域に根ざした学習として魚の養殖が取り入れられているのでしょう。貝やエビなら水産資源ですからマッチしますね。海藻という手段もありますが、畑で野菜を育てるのと変わりありませんからわざわざ大きなコストを掛けてやる必要はないかもしれません。

 

 「話し合いを多数決で決めるな」という意見もありました。少数派の意見が蔑ろにされて揉み消されていると。しかし、食べるという意見も食べたくないという意見も価値は同じです。全員が関わって育ててきているのだからヒラメは集団の所有物として考えなければなりません。集団の大多数の意見が通るのは自然なことでしょう。仮にそのような気持ちを尊重するのであれば11匹のヒラメを育てることになります。そうすれば食べるかどうかを自分で決めることができます。しかし愛着をさらに抱いてしまう恐れもあります。そうなると本来の目的である養殖という体験学習が達成できず、単にペットを育てる学習になってしまう可能性が高いです。もちろんお金と設備、場所の問題もあります。

 

動画の最後で少年が「これからいただきますという言葉を通して、今回の経験のことを思い出していきたい。」と涙ながらに答えていました。

 

 生き物の命を頂くことはショッキングなことなのかもしれませんが、生き物として当然の行為です。生き物を食べるために殺すことにショックを抱く気持ちがわからないわけではないですし、そういう気持ちが命に対する優しさにつながることも理解できます。しかしだからといって目の届かないところで生き物を殺してもらって、それを食べるだけという社会が正常かというと疑問を抱きます。

 

 批判することは誰でもできますが、それがどのような目的で、どのような流れで行われたのかは現地の人たちしかわかりません。せめてこれはダメだと批判するのではなく、どのように行ったらより良くなるのかを示していきたいものですね。